おなごは強き者の種を欲するものじゃ 戦もせずにおなごを守ろうともせず強きものにひれ伏す男など相手にせぬわ
安保法制に反対しておるのはやはりおなごが多いようじゃな。さもあろう。わが子、わが夫の出陣を見送ることは、武家に生まれしおなごの定めとはいえ、つらいものじゃ。生きて帰って欲しい・・・それを願うばかり。 わらわとて、関が原、大坂の陣では、わが子秀頼を戦場に出すのをためろうた。それが家康に天下を取らせてしもうたかもしれんがのう。 まして百姓が、夫子を戦にかり出されしとき、妻として母としての嘆きはいかほどであろう。
されどわかってほしい。平成の世も乱世に変わりはない。唐の国がわが日の本の領地をしきりにうかごうておるというではないか。叔父上、信長様なら、さてどうしたであろうかのう。
日の本の国が未来永劫泰平の御世であると信して疑わぬ者が多いようじゃな。そなたらの世はわらわの生きた時代と同じ乱世であるぞ。 おなごとともに反対と叫んで一揆まがいの騒ぎを起こしておるあの男どもは戦わぬのかのう。おなご、こどもを守らぬと申すのか? ならば男に非ず 百姓とて夜盗におのれが妻子(つまご)が襲われりしとき、鍬でも鎌でも持ちてわが身を捨てても妻子を守ろうとするであろうに。
獅子は雌のみで群れをなし、戦いに勝ち残りし雄を群れに迎え、その種を宿し強き子孫を残すという。
おなごというものはの、強い男の種を欲するもの。戦に勝った者は負けたものより強いということじゃ。 北の庄落城のおり、母がわれら三姉妹にこう言うた。
「女のいくさは生きること。そなたらは生きよ。」
そう申してお城の炎の中に柴田の父上とともに果てた。 わらわは豊臣、妹の江は徳川の子を宿した。どちらが勝とうとも織田、浅井の血は天下人に受け継がれる。徳川の世となり、わが妹江の子は三代将軍となった。浅井の父上と母市の孫ということじゃな。われらは勝ったのじゃ。
浅井菊子さん
まだまだわからぬ者が多いと聞く。ならばわらわが教えてしんぜよう。集団安全保障とはのう、 わが父方の浅井家は朝倉家と遠からぬ縁があり、その義を守り叔父上に滅ぼされてしもうた。これは悪しき例じゃな。 良き例は家康殿じゃ。三河衆は朝倉討伐、姉川の戦に出陣なされた。三河・遠江からは遠き地、浅井・朝倉が徳川の領地を犯しておるわけではない。されど織田と徳川は固き同盟を結んでおった。 姉川の戦で叔父上が
「徳川殿には後詰をお任せしたい。」
そう言うたとき家康殿は
「承知しかねる。先方を承りたい!」
三河衆は果敢に戦い、お味方大勝利。それゆえ後に武田が徳川領を犯したとき、織田の援軍は三千丁の鉄砲を持ちて長篠で武田の騎馬軍団を壊滅させたのじゃ。 平成の言葉で言うたらこうなるかのう、
「安倍殿には後方支援をお願いしたい。」
「これはオバマ殿のお言葉とは思えませぬ。我等、遠方よりはるばる物見遊山に来たのではありませぬ。わが自衛隊、先方を勤めまする!」
日米同盟も織田・徳川の如く固くあらねばならぬと思うがのう。この乱世、一国では生きられぬ。
唐国の調略は進んでおるようじゃな。琉球などは奉行衆までもが唐国に寝返ったと聞く。まずは「戦わずして勝つ」を狙うのは孫子のころから戦の常道。国会議事堂前やら、そこかしこで騒いでおる輩、まんまと調略に嵌っておる。
このままではみな生きられぬぞ。他国が攻めて来れば、家を焼かれ、田畑を荒らされ、おなごは手篭めにされ、難儀するのは百姓、町衆じゃ。 されば戦をせずに強き国に従ごうておればよいのか? 他国に領地を奪われし、それは生き地獄じゃ。高き年貢を課せられ、おなごは売られ、赤子は捨てられることになろう。
そうならぬよう領民を守るのが国主、まつりごとを行うものの務めであろう。 もう一度言う、平成二十七年、今は乱世真っ只中であるぞ!
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